神 姫 バ ス の 歴 史 〜 そ の 8 〜




 神姫自動車は、狭隘区間において後方確認が容易に行われればワンマン運行は可能と考え、バックモニターの開発に取り掛かることになった。そこで、シャープと共同で研究を重ね、昭和43年に日本で始めてのバックモニターの試作品が完成した。この試作品を、姫路営業所のバスに取り付けて効果テストを行い、更に改良を加えて、昭和46年に本格的に実用化されることになった。現在では、多くの会社が採用しているバックモニターは、神姫自動車とシャープの共同開発によって誕生したのである。

 バックモニターの実用化によって、ワンマン化に拍車が掛かり、昭和47年にはワンマン化率80%を突破するに至った。

 こうした合理化を進めても、地方のバス離れは進み赤字路線を維持するために経営を圧迫されていった。そのため、不採算路線の休止をを申請したものの、県をはじめとする自治体との協議を重ねた結果、公共性の高い不採算路線については、自治体から赤字分の補助が支給されることになり、路線存続が可能となった。この補助金は、路線に対してだけではなく、要件を満たせば車両購入費も補助されることになった。

 また、同じく昭和40年代には、姫路市内で競合していた姫路市交通局も同じように赤字のために経営を圧迫されていた。そこで姫路市側は、神姫自動車に対して運輸協定の見直しを申し入れてきた。無益な争いを避け、お互い棲み分けを図ろうと言うものであるが、当時の神姫自動車は姫路市内で数多くのドル箱路線も運行しており、これらの路線を姫路市交通局に渡すのに難色を示していた。その後、何度となく交渉が繰り返され、原則として国道2号線を境に北側を神姫自動車が、南側を姫路市交通局が独占運行することで合意し、昭和47年に路線交換協定が成立した。

 この年、神姫バスビルが姫路駅前に完成し、それに合わせて社名を、「神姫自動車株式会社」から「神姫バス株式会社」へ変更した。創業45周年を迎えた昭和47年5月13日のことである。


バックモニター付のバス。
バックモニターを最初に開発したのは神姫自動車である。

元々は姫路市交通局の路線だった夕陽ヶ丘線。
路線交換協定によって、昭和47年から神姫バスが運行することに。