神 姫 バ ス の 歴 史 〜 そ の 5 〜



5.戦後復興編
 昭和20年8月15日に終戦を迎えましたが、そのとき神姫合同自動車は、空襲の影響で本社社屋をはじめ多くの車両を焼失する被害を受けていた。日本は、戦後の混乱期に突入し、GHQによる占領政策がおこなわれる事になった。

 昭和21年始めに、神姫合同自動車は復興基本計画を立ち上げた。第1は、車両の整備と路線の復旧。第2に緩急に応じた路線の開拓。第3は、創立当時からの悲願である神戸市内への進出と西播地域未吸収地区の獲得で健全経営の基盤を築きあげるものであった。
 第1の課題については、配給によって得た新車だけでは足りないため、別途配給を受けたシャーシに遊休車のボディを架装して補っていった。路線についても、車両の復活と共に順次休止路線を復活させていき、尚且つ新路線の開設を行っていった。

 昭和22年9月には日の丸自動車から、西播・美作地区の路線(現在の大原地区)を買収し、西播地区掌握を達成した。一方、神戸では、明石〜伊川谷線・明石〜福谷線の路線権争いが神戸市との間に発生した。これは、路線権利を神姫合同自動車が保有しているものの休止路線であり、そこに神戸市がバスを走らせたのである。神戸市は、伊川谷村、玉津村、櫨谷村などから合併・編入する条件として、市バスの運行を要求してそれが、今回の運行開始となったのである。ところが、たとえ休止路線とは言え、自社の権利を侵害されたとして、神姫合同自動車は路線の償還を神戸市に激しく求めた。しかしながら、神姫合同自動車は元々地元住民の要望を無視して採算性などを理由に休止していたため、住民にとっては迷惑な問題であった。結局、神戸市と相互乗り入れ運行と言う形に落ち着いたのであるが、平成17年に神姫バス単独路線となった。

 昭和23年になると、車両不足は続いているものの長距離路線バスの開設ラッシュが続き、遂に念願の姫路〜神戸線を運行開始した。これにより、初代社長であり衆議院議員である木下栄氏念願の「神姫」が現実のものとなったのである。
 昭和24年には、更に山崎〜神戸線など直通急行バスの運行を始め、翌25年には姫路〜鳥取・上郡〜津山・粟賀〜神戸などの運行も開始、昭和26年11月時点で、免許キロ1767キロに対し営業キロ1636キロと営業率93%に達し、路線の戦後復興が完了したことを物語っている。


伊川谷の河川敷を走る神戸市交通局の14系統。
2005年春までは、神姫バスとの共同運行だった。
※画像提供 ぴよといっちゃん様

山手口付近を走る大原〜津山線。
昭和22年に日の丸自動車から路線移譲を受けて運行開始した。