神 姫 バ ス の 歴 史 〜 そ の 3 〜



3.拡張期〜明石本社編〜
 西を掌握した神姫自動車と木下栄氏は、創業当初の目標である姫路〜神戸間の一大路線網建設のため東への進出を図った。
その第一目標は、明石に本社を置く明美自動車との合併である。

 明美自動車は、三木・小野・淡河から神戸・太山寺・櫨谷・押部・明石方面に路線を持ち、経営内容は良好であった。中でも、現在の36系統である小野・三木〜明石線は、明美自動車の生命線であり、神姫自動車はこの路線に割り込みを掛けたのである。
 とはいえ、小野・三木〜明石間の免許を神姫自動車は持っていないため、三木から東二見間の路線を、東二見で宇治川電鉄(現在の山陽電鉄)に連絡して、明石・神戸方面の営業を開始したのである。
 しかし、このルートだと時間的に大幅なロスがあり太刀打ちできないため、運賃を明美自動車より値下げして対抗したのである。更に、三木〜東二見線に新車を導入し、徹底したサービスを行ったところ、明美自動車側が音を上げ「合併してください」と、神姫自動車に申し込んだのである。
 その結果、昭和7年1月7日に明美自動車と神姫自動車は無事合併したが、合併と言うよりは明美自動車を買収したと言った方が正しい状況だった。これにより、神姫自動車は東播方面の地盤を獲得することが出来たのである。

 昭和7年7月21日に吉川村毘沙門から市之瀬を経て五社までの路線を持つ、富国自動車を買収し、9月27日には稲田から毘沙門〜大沢を経て山口までの路線を持つ、宝播自動車を買収した。

 明美自動車との合併、そして富国自動車と宝播自動車を買収した事によって、東播の主要地域を勢力圏に加えた神姫自動車は、更なる発展を遂げるため、昭和8年1月9日に、本社を姫路から明石市駅前町1010番地に移転したのである。

 明石に本社を移転した後にも、神姫自動車は勢力拡大の手を緩めることなく、播磨地域の中小自動車会社を次々と買収合併し、創立10周年になる昭和12年には既に播磨地域80%を手中に収めていた。

 その後、昭和13年には中国へ進出し北京営業所を開設するも、こちらは盗賊に焼き討ちされたり、日本兵の移動に無償利用されたりと損失だけが目立つ状況であり、太平洋戦争の戦況の変化も手伝って昭和17年に引き上げることとなった。

 太平洋戦争の戦況が悪化するにつれ、国策で企業統合が各地で行われるようになり、神姫自動車も例外ではなく新たな局面を迎える事になるのであった。

現在の神姫バス36系統、社〜小野〜三木〜明石線。
明美自動車の生命線であったこの路線を、神姫自動車は力で手に入れ、
今日に至っている。

昭和8年当時の神姫自動車本社と思われる場所。
現在は、山電不動産と駐車場になっているが、昭和39年ごろまで明石営業所が
この場所にあった模様。ちなみに、現在バスが走っている付近は山陽電鉄の線路だった。