神 姫 バ ス の 歴 史 〜 そ の 2 〜


2.拡張期〜姫路本社編〜
 基礎固めが終わった神姫自動車は、次なる目標として神姫バスの姫の字、すなわち姫路に拠点を置くべく動き出した。
 当初、神姫自動車は姫路市内にある自動車会社4社のうち、最も規模が大きく経営が安定していた山陽自動車に白羽の矢を立てた。しかしながら、当時の山陽自動車社長の植田宗二氏が、合併の条件として自身の身を保証する事を上げ、この保証する書類に宇治川電気の当時社長である林安繁氏の判をつくように要求してきたのである。これに気を悪くした木下栄氏が、山陽自動車との合併話を白紙に戻したのである。

 その後、姫路市内では二番手のフタバ自動車が神姫自動車へ合併を申し入れてきた。神姫自動車は、その話を飲み昭和4年4月20日にフタバ自動車を吸収合併し、ついに姫路の地に神姫自動車は踏み入れたのである。
 また、同時にフタバ自動車本社のあった姫路市駅前町202番地に神姫自動車の本社を移転したのである。
 フタバ自動車は、姫路〜北条、北条〜福崎、北条〜社、北条〜粟生・小野、北条〜加古川線といった現在の北条営業所管内の路線を運営しており、これらの路線を手中に収めたのである。

 姫路に拠点を置いた神姫自動車は、昭和4年6月18日には龍山自動車と神崎自動車を買収し、今のダイセル線である新宮〜山崎間と、粟賀管内の各路線を手中に収め、更に7月には大正自動車を買収し網干〜新舞子・室津間の路線を手に入れ、大塚泰三氏から姫路〜安志間の路線を買収したのである。
 翌昭和5年には、井上辰男氏から、姫路〜佐用〜平福間の路線を買収し、西播の要所を掌握したのである。













現在の、姫路〜北条線。
昭和4年のフタバ自動車合併時から神姫路線として、走り続けている。