神 姫 バ ス の 歴 史 〜 そ の 10 〜



10.バス復権を目指した闘い
 昭和62年3月18日、神戸市営地下鉄西神延伸線の学園都市〜西神中央間が開通した。この開通に合わせて、神姫バスは明石・加古川から西神中央駅への乗り入れを開始したのだが、もともと西神ニュータウンは神戸市が開発しており、バスも神戸市バスが営業権を持っていたことから、西神ニュータウン内では神姫バスはクローズドドア方式をとることになった。このクローズドドア方式は平成5年まで続けられることになる。

 一方北摂地区でもニュータウンの開発がおこなわれており、昭和62年3月18日より新三田駅〜ウディタウン線の運行を開始したのを皮切りに、三田地区もニュータウン路線開設が相次ぎ活気づくこととなる。

 姫路地区では、この年の4月に姫路独協大学が開校し、これに合わせて姫路駅〜姫路獨協大学線の運行を開始した。獨協大学線は現在、大寿台線と合わせて姫路市内のドル箱路線として活気を帯び続けている。

 昭和63年には、舞鶴若狭自動車道の福知山IC延伸開業に合わせて福知山ハイウェイバスの運行を開始した。JRバスとの共同運行で1日2往復されていたが、残念ながらこちらはJRの特急「北近畿」に対抗することが出来ず、平成7年に廃止となった。

 この頃から、全国で高速バスブームが巻き起こり、神姫バスでも東急バスと共同で平成元年3月3日より姫路・三ノ宮〜渋谷線の運行を開始した。東急バスは自社ブランド「ミルキーウェイ」の愛称を名乗り、神姫バスは姫路をもじって「プリンセスロード」と命名した。この路線が好評であったことを受け、よく平成2年には三ノ宮・姫路〜福岡線を、その年の秋には長崎線の運行を開始した。高速バスは収益率が非常に高かったので、路線バスの赤字なども高速バスの収益で補てんするようになっていった。

 時代は少し戻って、昭和63年より神姫バスでは「CI計画」がスタートしており、平成元年7月7日にこれまでの旧社紋とは全く違った新しいシンボルマーク「のぞみくん」が初めて発表された。またよく平成2年には、貸切バスのブランド化を目指して、グラフィックデザイナー永井一正氏のデザインによる車両がデビューした。このデザインは、全国初のDCブランドバスとして取り上げられ、現在に引き継がれている。

 こうした、バス復権を目指し懸命に取り組んでいる神姫バスに、この先大きな試練が待ち受けていた。


神姫バス初の夜行高速路線である東京線。
現在は新宿西口発渋谷経由で運行されている。

グラフィックデザイナーの永井一正氏がデザインした貸切車。
20年たった今でもデザインに古さは感じられない。